県内での競馬の歴史は古い
平安時代末期の寿永3年(1184)年、八幡宮の祭典に際して行った
流鏑馬の式の記録も残っている
大正時代には洲本町(現在の洲本市)の三熊山で洋式競馬が開催された
しかし
この競馬場では地方競馬規則の公布に伴う継続は難しく
1929(昭4)年:昭和3年に施行された地方競馬規則に基づき
三原郡畜産組合主催による淡路競馬場が三原郡市村青木に開設された
しかしながら離島であるという地理的問題から移転の話が起こり
1930(昭5)年:園田競馬場が開設されたため、わずか1年で淡路競馬場は閉鎖された
1947(昭22)年:第二次世界大戦後、地方競馬法に基づき
兵庫県馬匹組合連合会主催で旧競馬場跡地にて淡路競馬場を再開
翌、1948年の競馬法施行により
主催が兵庫県馬匹組合連合会から兵庫県に代わり兵庫県営競馬として実施された
しかし
離島の淡路島では、望むほどの集客・収益ともに上がらず
1949(昭24)年:淡路競馬場は廃止とし
県下各市の誘致合戦の末
姫路競馬場に場所を移すこととなる
兵庫県三原郡市村青木(現:南あわじ市市青木)
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